Kentaro Kuribayashi's blog

Software Engineering, Management, Books, and Daily Journal.

みすぼらしさについて

真夜中の京葉道路は恐ろしく薄ら寒くてはやくも引き返したい気持ちになったのだが、自分から出てきてしまった以上それはできなくて、中川の橋をこえた頃には自棄に身を委ねて、足の動くままに、というよりもむしろ、足が動く以上しかたがないといった具合に歩きつづけているのだった。

どうしてこんなことになってしまったのだろう。僕はいったいなにをしているのだろう。平井、亀戸、錦糸町。もう二度と戻ることはない街。平井「ワンモア」のフレンチ・トースト。「亀戸餃子」で吐き気をもよおすほど食べたあの味。錦糸公園でひさしぶりにはしゃいで乗ったブランコ。

墨田川を過ぎ、やがて靖国通りに入る。いつもとはまるで違う閑散とした光景だ。ふらふらと揺れる警官の姿にすこし緊張してしまったり。神保町を過ぎ、九段坂を登る。このあたりにあったという「野々宮アパート」のことを思う。

テレビ・ニュースの音に起こされて、嫌々ながら起床する。見送りを終えたあとはソファに寝転んでひねもす手当たり次第に本に読み耽っていた。葛西善蔵宇野浩二龍胆寺雄といった小説家の作品を好んでいたものだ。いつかこんなことが終わってしまうことを考えると心の底から身震いした。しかし、その身震いに、性的とすらいえるような快感を感じてもいて。そうなったとき、ということをずいぶん前からずっと考え過ぎていて、未来をすでに思い出していた。

いつのまにか新宿通りを歩いている。四谷3丁目のバス停に放置されていた自転車に手をかけたけれど、誰が見ているわけでもないのに罪悪感に駆られて歩きつづけることにした。空がほんのすこし明るくなっている。悲しみは深くなっていく。

たくさんの罪に対するほんのすこしの罰。僕はその罰すら心地よいものとして楽しんでいたのだった。未来の感情は絶対に現在において感じることはできないし、現在の感情は未来においてはどうでもいいぐらい軽いものだ。けれども、いまこのときのことをいつも考えていたせいで、自分の感情がどこにあるのかわからなくなっている。

京王新宿駅。すでに始発が出ているようだ。電車に乗り込むと、なにを思う間もなく寝込んでしまっていた。