Kentaro Kuribayashi's blog

Software Engineering, Management, Books, and Daily Journal.

ドキュソに人権を!

晩御飯を食べながらぼや?んとテレビを観ていたら、ある番組(てか、どの番組なのか、テレビを観ないのでわからない)で、「性同一性障害」を克服しようとカミングアウト & 選手登録を女子から男子へと変更して ちょっと前に話題になった競艇選手 を前フリに「同性愛者を認めますか?」という街頭インタビューをやっていて、たいていのひとが、「いいんじゃないですかぁ?」などとこたえていました。しかし、「じゃぁ、家族が同性愛者であることを認めますか?」と質問を変えると、うってかわってたいていのひとが途端に態度を豹変させ、あろうことか、「抹殺」とか「ひとがそうである分にはいいけど、家族から同性愛者が 出る のは許せない」といったおこたえ。そぉーこぉーでぇー、またブチギレですよ。

初手からキメツケますが、公の場でそういうことをいうやつは気狂いです。別に自分の中だけで思っていたり、身内でそういう罵詈を吐くのは構わないですが、いい齢した大人がテレビのインタビューで感情的になって右も左もわからなくなる、結果、あわあわと「抹殺」なんてふんぞり返ってしたり顔。これを気狂いといわずしてなんといえばよいのか。ドキュソは「同性愛者は人間のクズだと個人的には思うが公の場でそれをいうのはマズいのではないか」というひととしての最低限(いや、ほんとに文字通り最低限)のことすら考えるに及ばないようで、ましてや性的指向の多種多様性なんて一生縁のないみすぼらしい最下等人生を歩むその姿はそれはそれで楽しげに見えて、ドキュソにだって人権はあるのだ!と頼まれもしないのにデモンストレーションして歩きたい気持ちでいっぱいです。

などというと、「お前はホモにつきまとわれたことがないから(あるいはまわりにホモがいないから)そんなことがいえるのだ」とドキュソの上塗りをするクズが決まってあらわれるのですが(実際にいわれたことあるし)、それが何か?男であると女であるとに関わらず、こちらが好意を持っているわけではない人間につきまとわれたらイヤだし、まわりに同性愛者がいようといなかろうと、同性愛者を認めようと認めまいと、「家族から同性愛者が出るのは許せない」などという発言が許されるわけがなく、ついでに話を飛躍させると、「公」ってのはそういう個人的事情などとはまったく関係なく存在していて、馬鹿がしょうもない漫画をよんで振りかざすようなものではないし、ましてやそういうドキュソの腐れアイデンティティを担保するものなどでは断じてないのであって、人権云々いうやつも「公」云々いうやつもどちらも見ているのは所詮は「自分」であるところがキモい。