Kentaro Kuribayashi's blog

Software Engineering, Management, Books, and Daily Journal.

バロウズ本 / 不自由について

たかがバロウズ本。
たかがバロウズ本。

自分が モノ作りを趣味にしている人間消費を趣味にしている人間 かと問われれば、考えるまでもなく後者であると即答することになるわけですが、とはいえ、モノ作りに修練や能力・才能が必要であるように、消費もただ単に金にものをいわせて 与えられたものを買い漁 ればそれで事足りるというものでもなく、とすれば、箸を右から左に動かすことすら重労働だと感じてしまうほどに無気力であるばかりか音楽のひとつも奏でることのできない無能であり、その上そのことでしか快楽を感じることのできない消費の才にもまるで恵まれない(もちろん日々の食にも事欠く貧困も大きな原因なのだが…しかし、その貧困も無才の故だ…)僕のような屑が、その消費すべきブツすらあたり一面見渡す限り存在しない不毛な地に暮らしているということ、これはちょっと他人には想像もつかないほどの恐ろしい絶望状態なのです。

「消費の才能」ということをうまく説明することは僕には不可能なのですが(当たり前)、例えば青山二郎中原昌也といった名を挙げればわかるひとにはなんとなくわかるのではないかとも思われ、ここでもっと気の利いたことを書けないことがまさに僕の無才を如実に示すことになっていることにあらかじめ気付いてもいるわけで、ほんとうんざりする他ないといった感じなのだけれども、そんなことを考えながらひさしぶりに TSUTAYA の書籍コーナーをのぞいたらなぜか『たかがバロウズ本。』が入っていて、ベストセラーですらまともに入荷されないせいで書籍コーナーをほとんど見ることもなかったのを少し後悔しつつさっそくレジへ本を持っていき支払いをしようと財布を開けたら 1,000 円しか入っておらず、しかたがないのでいったん帰宅してから再度走って買ってきましたよ。わくわくしながら。しかしですね、『たかがバロウズ本。』をこんなにも新鮮な驚きを以て購入しなければならないということ、もちろん内容についてではなく、その本がそこに存在するということに驚かなければならないということ、それは本当に絶望的なことだ。カッターナイフで以て薄く切った手首から思いもかけず大量に血が溢れるのを朦朧としながら見つめることで自分がいままさに生きていることを実感しなければ、自分の存在すらはっきりと認識することができないほどの茫然自失に似て。