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Kentaro Kuribayashi's blog

Software Engineering, Management, Books, and Daily Journal.

『設計の設計』を読む #2 - 「超線形設計プロセス論」について

第一回目(『設計の設計』を読む #1 - 設計プロセスの継続について)に続く第二回目は、田中浩也氏による「アーキテクチュラル・コーディング」も非常に面白いだが、ちょっと消化しきれていないのでスキップし、藤村龍至氏による論考「批判的工学主義から「設計」を考える」の感想を述べてみたい。この章は、上述の田中論考同様、これまで特に建築に興味を抱いてはいなかったような、僕が属するIT業界の人々も楽しく読めるものだと思う。

設計の設計

設計の設計

都市の均質化という問題、既存モデルの検討

都市の構造や経済システムにすら影響を及ぼし得る巨大建築や、建て売り住宅や賃貸アパートなど、規模の大小を問わず、厳しいコスト競争の元で効率化を追求せざるを得ず、安価な材料や工法の適用はもとより、設計コストの圧縮により、都市はますます均質な建築物に覆われていくばかりだ。効率化そのものは、ただちに悪というわけではないが、現に単調な風景の町並みからは生活・消費の場としての魅力が失われ、そのことがますます都市の経済的疲弊を促進する悪循環が生まれている。

問題の解決には、設計により多くのコストをかけることが理想的だが、景気減退傾向の昨今においては、困難。となると、現状、設計にかけられるコストの範囲内で、そのプロセスを改善することが現実的な解となる。そのため、著者は以下の3つの設問に答えることで、新しい「設計の設計」を試みる。

  1. プロセスの効率性とプロダクトの固有性は両立可能か
  2. 目的そのものを探索するように設計を進めることは可能か
  3. クリエイティブなコラボレーションはいかに可能か

(1)の問いは、コスト競争による効率の追求を避けられない所与として受け入れながら、結果的に悪影響を及ぼすことになり得る均質性を回避しようという問題意識だ。(2)(3)は、複雑な現代社会においては、そもそもニーズそのものが明確ではなく、それは常にクライアントと設計者の間で発見されるものであり、また、ニーズの解決方法それ自体も複雑化している中で、どのような協業を組織することがよりよい解決になるかという、コミュニケーションについての問いである。

既存の設計・コラボレーションにおけるモデルとして、設計についてはレム・コールハースを参照し「論理的進化」「飛躍的進化」が、コラボレーションについては丹下健三、SANAAを参照し「スタッフの出す案をボスが選択するモデル」「大量の制作から適切なものを淘汰により選択する進化論的アプローチ」が抽出される。「論理的進化モデル」は、所与の条件を元にある種の物語を論理的に組み上げることにより固有性を確保する。一方、「飛躍的進化モデル」においては、既存の物語をある種の演出として適用することにより、効率的な設計を可能となる。コラボレーションのふたつのモデルは、いずれにせよ大量の案が水平に展開されるという点で同一であるが、その実行のためには大量のリソースが必要とされ、どのような条件においても可能な手法ではない。

「超線形設計プロセス」という回答

著者の提唱する「超線形設計プロセス」とは、上記3つの問題に対する回答でありつつ、「論理的/飛躍的進化」をともに折衷し、可能なコラボレーションを模索する手法であるとされ、以下を原則とする。

  • ジャンプしない
  • 枝分かれしない
  • 後戻りしない

その上で、最初にゴールイメージを定めることなく、漸進的に論理的進化を進めていく設計手法である。その差異、その過程で制作される模型を保存すること、改善点を各段階において一箇所にしぼることにより、その時々においてフォーカスしている問題を明確にし、コミュニケーションの正確を期すことで、設計プロセスを生物の孵化過程に比せられるようなシンプルな線形に保つことが可能となり、そのことが固有性を担保しながらも、効率のよい、スピードのある設計を可能にするとされる。

このように、設計履歴を残しながら設計条件を建築の形態に段階的に合成していく「超線形プロセス」は、設計条件をひとつずつ定義しながら進行するので、(1)「周辺環境の固有性を正確に読み込むこと」ができ、各段階の読み込みの差分を履歴として保存し、情報を蓄積していくことができるので、(2)「意味を重層化し、複雑で濃密な形態を構築する」ことを可能にし、後戻りがないので、(3)「スピードがある」という特徴を持っています。

『設計の設計』p.134より

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図: 超線形プロセスにおける設計工程

「超線形設計プロセス」は、ウェブのもたらした新しい情報環境の元での協業や、アジャイル開発などに代表される新たな開発プロセスの影響を取り入れながら、模型によるプロトタイピングや、設定・評価・選択における既存の建築設計が蓄積してきた規範的なプロセスを更新し、現在の建築にとって避けることのできない効率化への絶えまない圧力を引き受けながらも、多様なニーズの調査・設定、シンプルで明確なコラボレーションによる合意形成による要求への適切かつスピードのある対応を可能にしつつ、固有性を担保することを目論む手法である。

設計プロセスの、教育における応用

また、そのようなプロセスの明確化は、建築教育にも寄与するものである。現に、著者は大学教育において、同様のプロセスに基づく教育手法を実践しているという。そこでは、以下の3つのフレーズが口酸っぱく述べられる。

  • 考えるな
  • 想像するな
  • 振り返るな

「大学教育」というものの一般的なイメージからするといささか衝撃的ですらあるこれらのフレーズの含意するところは、しかし、非常に理に叶ったものであるようだ。

「考えたけどできませんでした」という不毛な結果に終わりがちな「ただ考えること」よりも、段階的な問題設定とその解決に注力すること。ゴールイメージ(理想)とそこからの乖離による「負けのプロセス」よりも、漸進的な設計プロセスによりゴールイメージを都度膨らませていくことによる「勝ちのプロセス」。後戻り、あるいはリセットによる「ちゃぶ台返し」を禁止することで、設計プロセスが積み重ねによるものであることについての認識を強く意識すること。著者の、設計事務所での経験から抽出されたというこの教育手法は、単に建築のみならず、広く一般的な「設計」において非常に示唆に富むものであるように思われる。

批判と検討

濱野智史氏は、「藤村龍至の『超線形設計プロセス』の限界とその突破」において、「超線形設計プロセス」と「アジャイル開発」の共通点を指摘しつつ(「超線形設計プロセス」とアジャイル開発の共通点については、僕もかつて若干の検討を行ったことがある(『パターン、Wiki、XP - 時を超えた創造の原則』感想、少しばかりの余談)、それらがともにクライアントワークであることから、たとえば都市計画のような、そもそも通常想起されるようなクライアントのいない状況における設計において限界を呈することになると述べる。

  • いま私たちが直面しているグローバル社会の諸問題——南北問題や地球環境問題——は、究極的には市場・都市・社会の「再発明」ないしは「再設計」とでも呼ぶべき解決アプローチを必要としている。
  • 市場なら「自生的秩序」(ハイエク)、都市なら「セミラティス」(アレグザンダー)、社会なら「オートポイエティック・システム」(ルーマン)と様々な呼び方はあるが、それらの特徴はひとことでいえば「自生的に設計された秩序」という点にある。つまり、どれだけ人間の理性なり創造性なりを発揮したとしても、市場や都市や社会といった複雑な秩序なりシステムなりを、いっきょとびに設計するのは不可能である
  • そのとき、藤村的な方法論は一見すると有望に思われる。——なぜならそれは、「クライアントとアーキテクトの間のコミュニケーション・プロセスをあえて「超線形的」に設計することで、複雑な人工物の漸進的な進化を促すアプローチ」だからだ。
  • だがしかし、藤村の「超線形設計プロセス」は都市設計には適用不可能である。なぜならそこには、原理的な意味でクライアントもデザイナーもいない——そこには従来的な意味での「都市計画」を担う役人や政治家は存在しているが、彼/彼女らは適切に市民の声を代表しているとはいいがたい——「自生的な」秩序なのだから。
濱野智史「藤村龍至の『超線形設計プロセス』の限界とその突破」

藤村氏は批判に応えて、建築設計は法規、コスト計算、構造・設備などの物理的条件などを含む複雑なものであり、濱野氏の批判の要諦となるクライアントの存在、そしてその要望は数ある入力のうちのごく一部に過ぎない(このことは、前述した通り、クライアント自身がニーズを明確に持っているわけではなく、それはコミュニケーションの中で発見されるべきものであることとも関係があるだろう)ことを述べる。「極端な話をすれば、クライアントがいなくても設計を終えてしまうことができてしまうくらい、設計の要求条件が豊富だという特徴があります」(同書p.144より。

また、濱野氏が興味深くも示唆する通り、クライアントを前提とすることの限界とは、裏を返せば「クライアントがいさえすればプロセスはまわる」ということであるのだから、Googleなどに代表される情報技術によって抽出される「一般意思」の存在をクライアントと見做すことにより、「超線形設計プロセス」を都市計画のような分野のおいても適用可能であるかもしれず、現に藤村氏は、構造や温度の解析のようなものと同列なものとして、解析された世論を入力とすることで設計プロセスを駆動することが可能なのではないかという展望を示す。

ウェブサービス、あるいは設計一般について

ここから少し、僕自身が関わっているウェブサービスに話を移すと、その設計は、クライアントワークにおける方法論であるアジャイル開発における成果を多く取り入れつつも、どちらかというと濱野氏の指摘する「都市計画」により近い設計手法を必要とするだろう。そこには明確な、人格としてのクライアントは存在しない。ウェブサービスの設計が成果物を提出する対象は、端的に「市場」である。とはいえそれはもちろん、有象無象のなにやら漠然としたものとして捉えられているわけではなく、それがどの程度の精緻さを持つのかは措くにしても、マーケティング理論に基づく市場認識を伴うものである。また、膨大なログを解析することで、都市における「世論」ともいうべきものを、極めて精密に抽出・観測可能であり、常にそれが新たな設計プロセスにフィードバックされる。

また、以下のような当たり前の指摘を行うことも可能である。一般的な意味における人格をなさない、たとえば市場のような「クライアント」へ向けて設計を行うことは、ここでは理解の簡単のためにウェブサービスを例に挙げはしたものの、通常、どこででも行われていることだろう。市場に出回るどんな商品であれ、その内実がどうあれ、なんらかの設計プロセスを経ているはずだ。また、市場からのフィードバックを再設計に取り込むことについても、単純に売行きだとか、消費者からの意見・要望、法規や市場・競合動向の変化への対応など、一般的に行われているそのプロセスは、それぞれに成功したり成功しなかったりしたものであろうにせよ、学ぶべき要素を多く持っているだろうと思われる。

では、ここで「超線形設計プロセス」について長々と見てきたことは無駄であったのかというと、もちろんそのようなことはないだろう。著者が本論の冒頭に挙げた問いを繰り返す。

  1. プロセスの効率性とプロダクトの固有性は両立可能か
  2. 目的そのものを探索するように設計を進めることは可能か
  3. クリエイティブなコラボレーションはいかに可能か

(1)については、上記に紹介した「超線形設計プロセス」の方法の中で、取り入れるべきは取り入れたらいいのだし、ことに(3)における問題意識の強い情報社会論の議論においては「今のところは世論の計測と投票システムの提案に留まっており、性悪そのものを立案するための作業イメージはまだあまり提示されて」(同書p.138)おらず、ウェブサービスの設計は、効率性/固有性の両面において、建築家の伝統に学ぶべきところは大いにあるだろう。

ここで最も困難な問題を形成するのは(2)である。社会の複雑性の増大は、今後ますます進むことはあっても、減少することはなかろうから、目的は誰にも(クライアントにとってすらも)ますます見えなくなっていく。そのような「市場」に対して、のみならず、新たな「市場」を創造しさえするべき「何か」を設計することが、我々の設計においては問われているのだから。ここにおいても、僕の疑問は、この感想シリーズの第一回目で述べた「それにしても、どのようにしてプロセスは継続し得るのだろうか」に戻っていき、また今回「超線形設計プロセス」について検討したことで、以下の新たな問いが追加される。

  • クライアントの創造はいかにして可能か
  • フィードバックの精緻化のために何を行うべきか
  • 再設計が可能な設計とはどういうものか

いよいよ問題は、設計そのものはもちろんのこと、どうしたって流れ行く「時間」と、それが必然的にもたらす「再」「再々」「再々々」……という終わりなきプロセスをいかに可能にするかということになってきたのだった。