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Kentaro Kuribayashi's blog

Software Engineering, Management, Books, and Daily Journal.

ジェネラリストについて

マネジメント

専門を極めるとか職人技を鍛錬し続けるとかにすごく憧れつつもついついあれこれ手を伸ばしちゃって、よくいえばジェネラリストなんだけど、まあ普通にいって器用貧乏みたいな感じになっちゃうのは、性格的な問題もあるのでしかたないのかもとは思うけど、これだけはひとに負けないと誇れるみたいなのもやっぱほしいよなあとは思う。

とはいえ、では、誰でもがジェネラリストたり得るかといえば、そういうこともない。ジェネラリストであることと、なんでも中途半端ってのとは違うし、そもそもジェネラリストであることには適正があるんだとは思う。そうした適正というものを自分がそれなりに持っているのだろうとは思うので、それはそれでよい。

先日、まきもとさんと飲んでた時にそういう話になったのだけど、彼もまたそういうタイプで自分に近いと思っていたので、その点について話が合って面白かった。まあ、タイプという面で近いだけで、ジェネラリティの幅も個々の深さも僕などが近いと思うのは不遜であり、不愉快に思われるだろうけれども。

ただまあ、自分のジェネラリスト志向というか、意識的に志向してるつもりはないけど結果的にそうなってしまい、なんかわりと小器用にあれこれとやっちゃう性質をこじらせて、最近はさらにまた全然違う学習に突き進んでしまっているのは、客観的にはちょっと困りものだという感じもする。ひとところにとどまっていられないというのは、欠点でもある。

ジェネラリストというのは、現状に満足することなく、常に自分が素人である領域を求めるのだろう。もっといえば、学習ジャンキーなので、学習曲線が高く、自分がどんどん伸びていく感覚に中毒しているということだ。そうしたものを次から次へと求めてしまうという。そこにはいい面もあれば、悪い面もある。

混同してはならないのは、ジェネラリストであることと、新しいものなどに脈絡もなくとびつくことで、前者にはそれぞれ独自の価値観や見通しや美意識があってあれこれやっている一方で、後者はたとえば流行り廃りなどの他人の価値観にふりまわされるところに違いがある。節操無くやってるわけではない。