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Kentaro Kuribayashi's blog

Software Engineering, Management, Books, and Daily Journal.

2015年10月3日

日記

朝起きて、20分ほどメディテーション。仕事のことが思い出されて、なかなか集中できず。

昼食は、近所の鶏舎という中華料理屋。最近行き始めたのだけど、クオリティ高くてよい。決して上等なものではないが、完成度が高い町の中華屋さんという感じ。

切ったキャベツをざるに、千切りの白菜を業務用トマト缶に、ネギなどを大きな薬味箱にたくさんいれてある。ふたつの中華鍋を交互に使って、強い火力で一気に炒め上げる。そうした道具立てでもって、見る見る間に料理が作られていくさまをみて、生産性を高めるってのはこういうことなんだなと思う。

ちょっとだけ仕事のために出社。その後、丸善ジュンク堂に寄ったりした後、ルノワールへ。『イラストで学ぶ 人工知能概論 (KS情報科学専門書)』を読み終える。

読みながら、人工知能とは違うけど関連がないわけではない話として、組織的な意思決定について考える。組織上の自分の意思決定をふりかえると、日常的な思考とは異なり、知能を構成するのだろう部分的な問題解決手法を適宜使っている。もちろん厳密にやってるわけではないにせよ、組織デザインや組織上の行動は、ふだん考えてるよりも小さなパーツを重ねてる感覚がある。

その際、自分を対象化して能力をパラメタ化した表現にして考えているような感覚がある。そして、その時点ではそのことの社会的な意味とか、自分の人生にとっての意味などは、同じモードでは考えたりはしない。もちろん、そうしたことを考えないわけではないが、すっぱり切り離されている。そんなわけで、まとめてざっと考えているというより、より厳密に小さなモジュールで考えているというのが面白い。

昨今、ベビーカーを電車に持ち込むことについての論争や、混んだ電車内ではバックパックをおろすのがマナーみたいな言説があって、ベビーカーはともかく、バックパックをおろしたところでたいして空間を稼げるわけでもないのだけど、イラッとするひとがいるのはわかる。なぜかというと、後ろには目がついていないから、気にかけることが難しくて、悪気はなくてもバックパックをあててしまったりするからだろう。

そう考えてみると、本質的なのは単に空間的な問題ではなくて、ベビーカーにしてもバックパックにしても、気にかけているのだということが示されるべきだというように人々は思っているということなのだろう。気にかけているんですよということを示すのは好ましいことではあるが、そうでないひとに苛々するのは窮屈なことだと思う。

書店をぶらぶらしていて、経路依存性に関する問題を、マルコフ過程としてモデル化したらよいのだなという気づきを得た。経営学の伝統的にパス解析みたいなのが行われているのだけど、確率的なモデルの方がより現実に即しているだろうなとおもう。ただまあ、そのことで過去の事例による実証が得られたとしても、将来に対する有用なインプリになるかどうかはわかんないなと思う。

夕食は、肉団子の味噌風味鍋。肉団子を作るのが初めてだったので、学びがあった。ひき肉の量に対して卵が多過ぎてちょっとゆるくなってしまったのだが、卵1個分しか使ってないし、卵を微妙に残してもしかたがないので、ひき肉の量をもう少し多く買っておくべきだった。まあ、味自体は美味しかったのでよかったけど。

買ってきた石川美子『ロラン・バルト -言語を愛し恐れつづけた批評家 (中公新書)』を読む。いい伝記だなあ。読了して、かつてよく読んでいたけど全て処分してしまったバルトの本を読みたくなって、代官山蔦屋にいって『ロラン・バルト 喪の日記』を買う。

自分がされて嫌なことをやるなというのは指針としてはよいけど、自分がされて嫌なことを現に自分がしている時、そのことに気付くのはかなり難しいと思う。「人の振り見て我が振り直せ」ということは可能だとしても、自分の言動をふりかえって意味付け・評価するのは難しい。自分自身、そのようなことをしていることもあるだろうなと思って、反省する。