Kentaro Kuribayashi's blog

Software Engineering, Management, Books, and Daily Journal.

2020年1月18日

ワタリウム美術館へ「フィリップ・パレーノ展、オブジェが語り始めると、」を観に行く。人間ならざるものの語り、あるいはなんらかの表出、それらとのコミュニケーションに興味を抱いている。本展は、アート的な面白みはあるものの「オブジェの語り」としてのしかけは単純で、そういう意味ではイマイチ。まあ、目的が違うのだろうから、だからといっていいとかわるいとかいうことではないのだが。

そこから、南青山のMazajに寄ったのち、void+で保井智貴さん、NANZUKAで鬼海弘雄さん、CASE TOKYOで百々俊二さんの作品を観る。

帰宅して、タグボートの社長さんによる『教養としてのアート 投資としてのアート』を読む。現代アートのビジネス的な事情については他にもっといい本があると思うが、アート作品を投資として買うに際しての「鉄則」については、効果的なアドバイスがされていると感じた。ただまあ、たいていのひとはアートで投資としてもうけることはほぼ無理だと思われるので、好きにやったらいいのではないかとも思う。

最近、ちょっと目先を変えた、自分の趣味に基づくビジネスのプランを考えてみるということをしていて、たとえばシーシャ屋とかアートギャラリーとかについて考えている。シーシャ屋はかなり原価制約の強いビジネスなので、あんまり旨味がなさそう。アートギャラリーは、不動産・投資・タレント事務所・企画・営業・社交などなど、総合的なビジネスであり、面白みはある。しかし、たとえば不動産を持ってるとか、他のビジネスでまわっている物理的な拠点があるとか、そういう条件がまずは必要そう。

2020年1月17日

朝、新幹線で鹿児島へ移動。九州新幹線は初めて。WiFiがつながらなくて困る。まあ、だいたい寝てしまっていたので、いらなかったのだが。風景を見ようとおもっていたので、残念。しかし、寝てる間に着いてしまって、近くて便利だなあ。鹿児島オフィスに着いて、東京とミーティングしたりしたあとは、鹿児島のメンバーと夕方までずっと、今年どうしていくかについてじっくり話す。

東京へ戻り、久々に帰ってきた感を味わうために、North Villageへ。『自閉症の僕が跳びはねる理由 (角川文庫)』、『自閉症の僕が跳びはねる理由2 (角川文庫)』を読む。当事者による、稀有かつ美しい記録。心底驚く。心の理論みたいなことがいわれるが、もちろんそういうこともあるのだろうけど、本質的なことではないのではないか?という思いを抱く。

2020年1月16日

福岡。新しい取り組みに関するリモートミーティングや、少しおしゃべりなど。夜は、さくらの夕べ 研究所ナイト - さくらのイベント(九州版)でパネルディスカッションに参加。いろいろ話したいことはあるけど、時間が足りないなあ。その後、懇親会。さらに西中洲へ行き、肉肉うどん。いつもながら、旨い。そこから例によってゴシップへ。K氏らが合流して、シーシャとワイン。

2020年1月15日

福岡出張。朝、研修があり、冒頭で意義についてすこし話す。その後、いろいろ細々した仕事など。昼は紀文で鉄火丼。毎回きてる。午後は、新しく入社された方との面談や、今期の目標面談など。夜は、研究所のみんなで大濠公園の「橙」へ。とても旨い水炊きだったなあ。その後、天神にもどってバーでいっぱいやった後、ホテルに戻る。

2020年1月14日

朝起きて、すぐに仕事。もろもろこなした後に出社して面接、ミーティング等。夜、羽田へ移動。福岡へ行く。着いて、カフェで本読んだり、一風堂でラーメンを食べたり。ホテルに戻り、『1兆ドルコーチ――シリコンバレーのレジェンド ビル・キャンベルの成功の教え』の続きを読み終えた後、さらにその勢いで『新版 コーチングの基本 この1冊ですべてわかる』を読む。あらためて、このあたりについて学んでみてもいいかも、と思っているところ。

2020年1月13日

昨日は、日記を書いたあと、撮った写真を整理したり、プリントアウトしたりなど。あと、しまってあった絵を出してきて、飾ったりなどもした。

今日は久々にずっと外に出ずに一日中うちにいた。起床して、『〈自閉症学〉のすすめ:オーティズム・スタディーズの時代』の続きを読み、読了。生物学の章でいろいろこわいことが書かれており、身につまされる。続けて、『聖なるズー (集英社学芸単行本)』。こちらは、動物性愛の話。ズーたちの話は理解できるところもあるが、人間側の解釈に過ぎないだろうなあというものでもあり、それで幸せならよいのかも、と思う。しかし、人間の営みもまた、彼らの関係性とそんなに変わらないことかもしれないとも思う。

出張からKが帰ってきた。『1兆ドルコーチ――シリコンバレーのレジェンド ビル・キャンベルの成功の教え』を読んでいたのだが、お腹が空いてきたので、近くの中華料理屋さんへ。初めてのところだったのだが、とても美味しくてよかったなあ。帰宅して、よみさしてあった『旅の時間 (講談社文芸文庫)』の続きを読む。やはり、青木保さんの『エドワード・ホッパー ―静寂と距離―』でも紹介されていた「航海」のセリフに感銘を覚える。

「こうして段々日が暮れて行く訳ですが、」と老人が言った。「夕方っていうのは寂しいんじゃなくて豊かなものなんですね。それが来るまでの一日の光が夕方の光に籠っていて朝も昼もあった後の夕方なんだ。我々が年取るのが豊かな思いをすることなのと同じなんですよ、もう若い時のもやもやも中年のごたごたもなくてそこから得たものは併し皆ある。それでしまいにその光が消えても文句言うことはないじゃないですか。そのことだけでも、命にしがみ付いている必要がないだけでも爽やかなもんだ。」

吉田健一『旅の時間』(講談社文芸文庫)pp.257-258より

見事だなあ。その通りだろうと感じる。老年をこのように豊かに過ごせるよう、知恵と教養を身につけたいものである。

2020年1月12日

昨日読み終えた『創造と狂気の歴史 プラトンからドゥルーズまで (講談社選書メチエ)』で興味をいだいたルイス・ウルフソンについて、『動きすぎてはいけない ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学 (河出文庫)』およびドゥルーズの『批評と臨床 (河出文庫)』の彼について述べる章を読んだり。自閉症者として、母=母語の侵襲をなんとかやりこなそうとする営みとしての多言語によるいいかえは、自分自身の文学的な興味とも合致しており、非常な興味を感じる。そういう作品を書いた後に、ギャンブラーとして、また投資家として成功と失敗の激しい浮き沈みを経験している生き様にも興味を憶えて、Dossier Wolfson : Ou L'affaire du Schizo et les languesという伝記を注文した。

自由が丘のハディーカへ。『〈自閉症学〉のすすめ:オーティズム・スタディーズの時代』を読む。昨今の探求のモードとして自閉症に対する関心があるのだが、自分自身も数年前からそれがなんらかの新しい認識をもたらし得ることであると感じていて、興味をもっていたのだった。昨日読んだ松本卓也『創造と狂気の歴史 プラトンからドゥルーズまで (講談社選書メチエ)』や、先日読んだ「精神看護 2020年 1月号 座談会 ロビンソン・クルーソーは無人島で誰に最初に出会うのか 統合失調症から自閉症へ 特集 患者さんと医療者の意向が異なる時のコミュニケーション技法LEAP」から引き続いて、様々な学問分野から自閉症について考える本書を読むに至ったのだった。自閉症への関心というのは、新たな認識への興味というのもあるし、これからの世の中の流れのモードという関心もある。

渋谷へ。ヒカリエの小山登美夫ギャラリーで行われているHikarie Contemporary Art Eye vol.13「9人の眼」を観に行く。神楽岡久美さんというアーティストの作品に大いに興味をいだき、作品をひとつ購入した。身体に対する装飾と相対する拘束という観点から、未来の身体を幻視し、その身体を作り上げる装置を具体的に制作している作家。また、その制作過程をプロトタイプとして積極的に作品として提示することにも興味を覚える。作家さんとも少し話ができて、よかった。

渋谷スクランブルスクエアに入っているTHE SHOPで、理想的なノートを見つけて、これまで何度もチャレンジしてはうまくいっていない、紙のノートによって思考を制作するということを、あらためて試みてみようとおもっているところ。さっそく、直前に観た作品や、これまで自分が買ってきた、興味をもってきたアート作品について、North Villageでくつろぎながら、ステートメントになり得るような思考をまとめる。今後は、アートについても具体的な活動をしていきたいとおもっているところ。

2020年1月11日

JAISTの試験のために、品川の東京サテライトへ。しばらく待った後、試験会場へ。まずは事前に提出した小論文に基づいて用意したスライドで発表。その後、口頭試問。プログラムを量化する手法について問われて、うまく答えられず。OSSとセキュリティというテーマについて研究計画の概要を提出したのだが、どうもストレートに受け取られなかったようで、研究というよりはビジネスへの応用という関心にのみフォーカスしてるのでは?という話になる。そういうことではないのだが、と思いつつ説明をしたのだが、わかってもらえたか不明。

勉強をする気があるのか、これまでしてきたのかという文脈で、学部時代(20年前!)の研究テーマについて話すようにいわれ、岸信介について話す。正直言って、これからやろうとしていることを話そうとしているのに、そのテーマを深堀りするわけでもなく過去のことばかりきくことについて不快感を持ったが、できる限り話をしてみた。結果がどうなるかはわからないが、とりあえず待つほかなかろう。なんか、アカデミズムとの相性がよくわからんが合わないのだろうか?と感じる。6年前にMBAを受験して不合格だったのだが、その時の感じが蘇るなあ。

ともあれ、自分が問われることに対して防衛的な態度を思わずとりがちであることにあらためて思い至る。自分の成り立ちというか、自我みたいなものへの問いかけに対して、壁を作ることによって自己を防衛しようという機制があるのだろうと思う。そういうのは普段はださないように心がけているつもりなのだが、心がけているというその事自体が、防衛機制の存在を明かしだてることであろうと、あらためて感じる。競争的な環境においてはいい面もあるだろうが、一般論としてそういうのは疲れるだけだし、関係性を損ないかねないだろうので、コントロールしたい。

帰宅して、本の続きを読んだあと、しばらく眠る。夕方、起きて恵比寿へ。moffoomへ。本の続きを読む。その後、代官山蔦屋書店に行き、本物色。濱田裕史さんの写真集『Primal Mountain』とFoamの最新号を買う。あと、そこで観た本のKindle版『オールドレンズ実写図鑑[雑誌] エイムック』、『カメラとレンズのしくみがわかる光学入門』を買う。ジョージアのワインを買って帰り、帰宅して本を読みながら飲む。

2020年1月10日

月いちルーティンのミーティングのあと、出社して面談等。その後、鹿児島オフィスの新メンバーらと、昨日に引き続き飲み。まずは六本木に行き、松屋でご飯。松屋は、14日からジョージア料理を取り入れるということで、そのもの珍しさから、注目すべき状況にある。その後、North Villageでおしゃべり。さらに麻布十番まで歩き、Zenobia Cafeでシリア料理。シーシャもあるのだが、ここでは吸わず。アラビアコーヒーが美味しい。さらにカルロス・ゴーンも住んでいた元麻布ヒルズを眺めて、今回の歩行のテーマはカルロス・ゴーン。

2020年1月9日

昨夜は打ち上げで遅いKを待ちながら本を読んでいて、3時過ぎまで起きていた。しかし朝は普通に起きて仕事。月いちルーティンのミーティングをしたり。また、研究計画のレビューをしてもらって、昨晩さっと書いたものの論理的な誤りを正してもらって助かった。結果を反映して、少し手直しをする。その後、出社して面談や研究会、ミーティングなど。夜は、鹿児島の新メンバーを歓迎する会を「ハヌリ」で。肉をたくさん食べる。その後、チルインでおしゃべり。

創造と狂気の歴史 プラトンからドゥルーズまで (講談社選書メチエ)』を寝る前に読んでるのだが、とてもおもしろい。プラトンから始まって、哲学において狂気と創造性の関係がどう語られていたかという歴史を語る本。その目的は、20世紀に統合失調症がある種の特権的な病として語られていたのはなぜか?という問いにこたえること。著者が千葉雅也さんと対談していた時(『思弁的実在論と現代について: 千葉雅也対談集』所収)に、神経症の19世紀→統合失調症の20世紀→自閉症の21世紀的な図式を示唆していたのだが、実感としてもそういう感じがする。

著者の本は他にもあれこれ読んでいたのだが、この本は「精神看護 2020年 1月号 座談会 ロビンソン・クルーソーは無人島で誰に最初に出会うのか 統合失調症から自閉症へ 特集 患者さんと医療者の意向が異なる時のコミュニケーション技法LEAP」の座談会で、統合失調症から自閉症へのモードの変化において、前者をあとづけたものと著者が紹介していて、じゃあ読んでみないととおもって買ったのだった。著者の『症例でわかる精神病理学』が出た時、自閉症への関心からなんか書かれてるか買って読んだのだが、その方面についてはそういうアングルでは書かれていなかったのだが、自閉症について中心的に述べた本(『〈自閉症学〉のすすめ:オーティズム・スタディーズの時代』)も出ているようで、注文した。ただまあ、かといって自閉症を今度は特権化する動きもありそうで、それはそれで20世紀と同じことを繰り返している感じもする。

これは全然整理されていないなんとなくの連想だが、『「差別はいけない」とみんないうけれど。』におけるシチズンシップとアイデンティティや、ハンス・ウルリッヒ・オブリストのいう均一化としてのグローバリズムとそれへのカウンターとしてのナショナリズムみたいな話などと、なんか関係しているのかいないのか?みたいなことも考えたりしているところ。いずれにせよ、自分としてはローティ的な「トロツキーと野生の蘭」、カスリス的な「インティマシーとインテグリティ」のWhichevernessってところに落ち着くのだが。でも、そういう「未決定の宙吊りに耐える」的なポストモダニズムみたいなのはイマっぽくないとも思うんだけど、でもねえ、という感じ。