Kentaro Kuribayashi's blog

Software Engineering, Management, Books, and Daily Journal.

2018年7月31日

会社でLT大会があったのだが、素晴らしくて感動した。みんなが楽しく暮らしていけるよう、自分自身あらためてやっていかねば、と思う。

中沢新一さんをちゃんと読もうと思って、「カイエ・ソバージュ」シリーズを全巻注文したものがぼちぼち届く。また、俗にいう「山川草木悉皆成仏」的な、天台本覚論を掘っていくことが、自分自身のアクチュアルな問題意識へのヒントになるのかも?と思って、『日本思想大系〈9〉天台本覚論 (1973年)』を買ったりもした。

2018年7月30日

情報処理安全確保支援士の登録のための書類をようやく郵送した。必要な書類を集めるために役所にいくといちいちイライラさせられて、精神衛生上よくなかった。しかしまあ、ああいう変わらなさというか、非効率・非生産的なやり方が社会の大きなところに残り続けるというのも、それはそれでなんかしらの社会思想的な意義があるのかもしれないとも思える。効率性・生産性一辺倒に対するアンチテーゼというか。だいぶ無理やりなポジティブ感だが。

思弁的実在論と現代について: 千葉雅也対談集』を読む。自分自身の最近の関心に対しても、示唆がとても多い。

2018年7月29日

庭園美術館へ、ブラジル先住民の椅子展を観に行く。めちゃめちゃ面白い。しかし、なぜ、いつ頃から椅子を部族の思考なり威信なりの具体化に使い始めたのかというのはわからない。そんなに昔のことではないのでは?という気もするけど。もうちょっと調べてみたいとところ。ショップで、『精霊の王 (講談社学術文庫)』、『芸術人類学』を買い、庭の入り口にあるカフェで読む。

夜は、帰りしなに買ったスパイスを使ったカレー。美味しい。その後、ワインを飲みつつ、中沢本をひたすら読む。めちゃめちゃ面白い。

2018年7月28日

丸善ジュンク堂書店で『思弁的実在論と現代について: 千葉雅也対談集』、『[asin:4255010773:title]』を買い、椿屋珈琲店で読む。

夕方、イメージフォーラムへ「縄文にハマる人々」を観に行く。終映後は、監督のトーク。僕自身も、まだ日は浅いとはいえ、最近縄文にハマりはじめた者であるのだが、この映画は縄文の面白さにハマりつつ、わからなことはわからないとはっきり距離をおいており、その点に共感を覚えた。わからないことに対して、踏み込んで飛躍する思考もあるけど、距離をおくからこそ考えられることもある。

縄文に対して、簡単にわかってしまうのではなく、絶対的なわかりあえなさを維持すること。過去に対してそうとらえることは、未来からいまを同じように捉えることに横滑りできる。そう考えると、逆に未来との間にも絶対的なわかりあえなさがあるはず。世の中はそのように変わっていくだろう。自分自身の、絶対的に孤絶しているモノたちから、いかにして社会なりシステムなりが立ち上がるのかという関心とも似ている。

台風が近づいてずいぶん風雨が強くなってきたのを避けるために、表参道駅まで歩く途中で、青山一真に避難。お酒もそばも美味しくて満足。

2018年7月27日

働くことを必要悪だとする考え方を前提にすると、その必要をなくすことができる条件が満たされない限りは、どういう状況でもそんなに変わりはないということになると思えるし、実際に大部分がそうだろうとも思う。どんな条件であっても、どうせ働かなければならないという意味では同じなのだから。もしそれが嫌ならば、前提はそのままに必要を不要にするか、前提そのものを変える必要がある。どっちを選択してもいいけど、後者の方が容易だろう。

蓮沼執太フィルの新譜「アントロポセン」や、サニーデイ・サービスの少し前のDANCE TO YOUを繰り返し聴いてる。

2018年7月25日

構想力の方法論』の続きを読む。なんというか、よくもまあこんだけあれこれ書けるよなあと感心してしまう。これ自体が「構想力」なのかもしれない……。というのはさておき、もうちょっとあれこれ考えてみないとなあ。想像力、主観力、実践力でいうと、まず主観力を深める必要があると感じる。

以前読んだ『目の見えない人は世界をどう見ているのか (光文社新書)』が面白かった著者の新刊『どもる体 (シリーズ ケアをひらく)』を読む。のっけから知らないことばかりで、読書の楽しみって感じ。『淋しいのはアンタだけじゃない』のような、単純に、自分の知らないことに対する知識を得ることで共感できるようになれるという利点がある。

2018年7月24日

先日、飲み会でT氏からおすすめされた『ミライのつくり方2020―2045 僕がVRに賭けるわけ (星海社新書)』を読んだ。Oculus Riftが出てきたあたりからの著者のVRへののめり込みも面白いし、これからの世界についての見立ても、実際にそういう方向になっていくのだろうなあと教えられた。ただ、VRのような、視覚や聴覚に偏重していると思える技術が広まっていった世界は、そんなにいいものだろうか……という気もする。ただひたすら、主観しかない世界。言語的な営為は、相対的にだいぶ軽いものになるんだろうなあ。まあ、先日、そういう話を論文に書いたりもしたのではあるが。

構想力やビッグピクチャを描くことについて自分自身の課題を感じていたところに、紺野登・野中郁次郎コンビによる『構想力の方法論』なんて本が出ているのを見つけ、読んでみる。例によって、な感じの内容ではあるが、とりあえず読み進めて、少しでもなにかよさを取り入れられたら……そうでもしないと、構想力なんてヒントもあんまりないわけだし。

しかし、やりたいことがいっぱいあってよいことだなあ。